2009/07/14

参考:和田アキ子

あの和田アキ子さんならではの、
数々のアツくありがたいお言葉。
ご堪能あれ。



「仲良しごっこじゃ叱れない」

叱る側は、反発されたり嫌われたり
するのも覚悟して叱る。
自分はどう思われてもいいから、
「もっと成長して欲しい」
「よくなってほしい」と本気で
願っているから叱るんです。

「叱るのも人との
 コミュニケーション」

何か説教されるなって
わかっていても、みんな
嬉々としてついてきますよ。
やっぱりどこかで不安だし、
孤独なんだと思う。
いまの若い人だって、
人とのコミュニケーションを
拒否しているわりには、
だれかと話したいし、
だれかに認めてもらいたい。
そういう人にとって
「叱られる」って、ある意味、
心地いいんじゃないでしょうか。
だって、「叱る」のは
冗談やヒマつぶしじゃ
できないんです。
相手のことを真剣に
考えていないと叱れない。
自分はどう思われてもいいから、
相手に正しい道を教えたい・・
これってまさに無償の愛。
みんな、それを
本能的感じるんだと思う。

      ●

《挨拶できないヤツを叱る!》

「挨拶されてイヤな気持ちに
 なる人間はいない」

「まず声を出せ」

「相手からされる前に、
 自分から挨拶しろ」

「人間関係は
 合理的には割り切れない」

      ●

《だらしない服装を叱る!》

「人を見かけで判断するな」
と言いますが、それはあくまでも
自分が人を見るときの話。
他人は自分を「見かけで判断する」
ものだと肝に銘じた方がいい。

「一流の物を身につけよう」と思うと、
それに見合う人間になろうと
自分自身を高める努力ができる。
たかが洋服、
たかがファッションかもしれません。
でも、その洋服が、
自分を引っ張ってくれる
こともあるのです。

      ●

《食事のマナーを叱る!》

「生きていけるなら、
 なんでもいいじゃん」じゃ、
精神が退化する。
すこしでも向上しようとか
立派になろうと思うのが
人間だろって思うんです。

「食べ方にその人の人間性が出る」

      ●

《公衆マナーの悪いヤツを叱る!》

人への思いやりや、
気配りができないような人間は、
個性的なんじゃなくて
バカなだけだと思いますよ。

      ●

《ビジネスのマナー違反を叱る!》

「電話の応対は信用度を左右する」

電話番がテキパキとした話し方で
感じのいい受け答えをすれば、
人は、
その会社全体が
「感じがいい」と思うし、
たまたま不機嫌な電話番に当たれば、
その会社全体が
「感じが悪い」と思うもの。

      ●

子どもを育てるというのは、
自分の全人格をかけた大仕事ですよ。

「親が生き方の手本を見せろ」

江戸商人の子育て
「三つ心、六つ躾け、九つ言葉、
 十二文、十五理で末決まる」

「威厳のない父親を
 もった子は不幸」

「親に叱られたことは忘れない」

      ●

「好かれようと思ってはいけない」

叱っておいて
「嫌われたらどうしよう・・」と
思うのは、自分の言動に自信が
ないからじゃないかと思います。
ちゃんと叱れば、
その場は反発されても、
あとで必ず分かってくれる。
自信がないのは、
「叱った」んじゃなく「怒った」
からじゃないかと思うんですよ。
もし愛情をもってほんとうに
「叱ろう」と思ったなら、
嫌われたっていいくらいの
覚悟をもって叱ること。
もし好かれようという気持ちが
すこしでもあるなら、
それは、本心から相手のことを
思っていない証拠ですよ。

      ●

「叱る以上、自分は守る」

相手が新人だろうが年下だろうが、
だれかが来てくれたら
必ず立ち上がって頭を下げます。
そして、その人が部屋を出ていく
までは決して座らず、立ったままで、
見送るようにしているんです。
自分ができないくせに、
人を叱りたくないと思うから。
そんな恥ずかしげもない
人間にはなりたくない。

      ●
《和田流「叱り」の極意》

「助走をつけて叱る」

「目を見て叱る

「恩着せがましくしない」

「叱ったあとは
 徹底的にフォローする」

「アメとムチで叱る」

「究極は無視して待つ」

      ●

・・ほかにも
アート・ディレクターの
長友啓典さんや、漫画家の
さいとう・たかをさん、
藤子不二雄さんなど、
芸能界とは別の世界の
錚々たる方々とおつきあい
させていただきました。
おもしろいですね。
べつに私がすばらしいから
じゃないんです。
どっちかといえばアホやから。
アホやから平気で
「字を教えて」とか
「これどういう意味ですか?」
など、ふつうのおとななら
恥ずかしくて聞けないような
ことまでなんでも聞く。
自分で言うのもおかしいけれど、
そんなところに、
どこか“かわいげ”があったから
じゃないかと思うんです。
私などちょっと唄が
歌えるくらいで、
ほかになんの取り柄もない。
だから、アホな自分でも、
飾ることも
隠し立てすることもなく、
全部さらけ出すしかなかった。
もし私に長所があったとすれば、
そんなところくらいです。

すこしは成長しておとなに
なったいまだからわかるのは、
なんの策略もなく、
無防備に自分のふところに
飛び込んでくるヤツは
「かわいい」ということです。
かわいいから、教えたくなる。
かわいいから、間違ったことを
したら叱りたくなる。
つまり、
叱ってもらえるのは愛されている
証拠だということなんです。
叱られないように
うまく立ち回るより、
ダメな自分もさらけ出して
生きていいんです。
みんな叱られて大きくなるんだから。
男も女も、
もっと人にかわいがられ、
愛される人になってほしい。
完璧じゃなくていい。
“かわいげ”のある人間に
なりましょうよ。


(この記事は問題あれば削除いたします)

うーん、イイ!!!

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